自分自身でいる必要があるのかどうか
曇り空のオークランドです。
少し寒く感じるのは私だけでしょうか。
延ばし延ばしにしていたお題「自分自身でいる必要があるのか」。
私にメッセージを送ってくださるマオリの神様のランギヌイ神様は、「あなたはあなたでいなさい」や「あなたはあなたでいる必要があるのか」と仰るので混乱しました。
わかるようなわからないような。
そこで、「自分自身でいる必要があるのか」をお聞きしました。
会話形式で、私の発言部分は「私」、ランギヌイ神様の部分は「ラ」と記しておきます。
私「自分は自分でいればいいのか否か、教えてください。」
ラ「あなたはどう思いますか。」
私「わかりません。わかるようなわからないような感覚です。まず、では、自分が自分らしくいるためには何ができますか。」
ラ「肩の力を抜くこと。呼吸に集中すること。考えてばかりいないこと。感じなさい。以上のことをしないからと言って、あなたでなくなるわけではありません。」
私「では、自分自身でいる必要はありますか。」
ラ「自分を好きでないとき、嫌いなとき、自分でいる必要がありますか。そういうときは一歩下がって自分を見るとよくわかりますよ。」
私「嫌いな自分を受け入れることも必要なのではないでしょうか。」
ラ「本当に嫌いな自分を受け入れられますか。受け入れられるとしたら、それはもう自分を嫌いではないのでは。苦しいときに自分でいるともっと苦しくなりませんか。そういうときこそ一歩下がって自分を見ればいいのです。自分を捨てるとまでは言いませんが、そのような感覚で。」
私「自分自身でいる必要があるか否かの質問の答えはNOでいいのでしょうか。」
ラ「必ずしも白黒つけなくてもいいでしょう。YES、NOで答えを出そうとすると自分が苦しくなるときがあります。自分にやさしくあれ。自分を追い込まないように。自分を嫌いなら、それには理由があるはず。それを見ていったら、自分自身でいる必要があるかは否かは関係ないでしょう。」
私「では、私はまだまだ自分をみつめていかないと、ということですね。鏡を見ることもここ何日か忘れていたくらいですから。」
ラ「自分を追い込まないでください。できることを少しずつ。」
私「わかりました。みなさんへ何かメッセージはありますか。」
ラ「自分らしくいてください。これは、自分が自分であることを忘れないでくださいということです。」
私「私の頭では少々理解が。また混乱しましたが・・・。」
ラ「考えずに感じてください。自分自身を感じてください。」
私「今、少し目を閉じて自分に集中してみました。わかったような気がします。自分に集中するとわかってくるような気がします。」
以上ですが、正直に言うと私には明確にはわかりませんでした。
でも、自分に集中すると気持ちいいのと何かがわかってくるような気がしたので、鏡で自分を見つめることと一緒にやってみようと思います。
頭で理解せずに体で感じた方がわかりやすいのかもしれません。
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